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「痔で悩んだ大岡越前」に関してのコメントを紹介しています。

2017.02.09

大岡忠相は名奉行・大岡越前守として、「三方一両損」などの大岡裁きで有名で、歴史書というより、むしろ演劇や講談、落語で親しまれています。実際の大岡忠相は常に冷静で、計算の行き届いた人物だったといいます。
 大岡忠相が書いた「大岡越前守忠相日記」に痔で悩んだ記載があります。寛保3年(1743年)1月15日から17日までの3日間に「痔血走り、今日まかり出ず在宅」と痔で悩んだことが書かれています。1月15日の朝、肛門の激痛で目が覚め、出血もしていました。2日後に徳川家の近親を連れ墓参りに行くという公用の行事があるが、出血のために休みたいと行事責任者の稲生正武に告げると、「今頃言ってもだめ」との返事が返ってきました。正武は忠相が日頃からの宿命のライバルだったようです。
 結局、行事は延期となったそうです。
日記の中で痔のことを書いたのはこの3日間だけだったようです。さすがに痛みと出血、そしてライバルである正武とのこともあって悔しい思いで、思わず書きとどめたのでしょう。
 さて、この時大岡忠相はどんな状態だったのでしょうか。1月という寒さや、おそらく新年を迎えて様々な公務が立て込み、ストレスが重なっていたのでしょう。こういったことが原因となって、もともと持っていた内痔核に血栓が詰まってしまい、激痛と出血が襲ったのでしょう。
江戸時代初期に、杉山和一(1610年~1694年)が書いた「療治之大概集」、「選鍼三要集」に脱肛や痔の項目があります。脱肛には百合、痔には腎愈・命門・長強・承山に灸を行っていたようです。
大岡忠相が活躍していたころも、根治的な治療ではなかったので、苦労をしていたでしょう。手術によって内痔核がすっきり治っていれば、「大岡裁き」はさらに鋭いものになっていたかもしれません。

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