今日8月15日で終戦72年となりました。
私たちは、戦争がなぜ起きてしまったのかをしっかり検証し、反省をしなければなりません。そして二度と戦争をしない国造りを誓わなければならないと思います。
私の父は江田島の海軍兵学校で終戦を迎えました。そのときのことを父はこう綴っています。
「8月15日、夢にも考えなかった敗戦。心の糸がプツンと切れて当日夜から翌日まで、ベッドの上でため息もつかず、何も考えず、級友や上級生ともども、ゴロッと寝転がっていました。こうゆうのを虚脱状態というのでしょう。」と。
日本の敗戦はありえない。日本のために戦う。こういった教育をすりこまれていたのだと思います。
こういった状況のなか、父は旧制第三高等学校への編入試験をうけました。そのときの口頭試問の質問が「こんどの戦争は正しかったと思いますか?」でした。
この質問は残酷な質問だと思います。軍国主義純粋培養の形で教育され、小学校、京都一中、そして海軍兵学校と、その教育の中で優等生として育ってきました。教練の教官からもかわいがられていたとのことです。日本のため軍国主義純粋培養してきた教育者からの質問です。どういう答えを求めていたのでしょう。「今でも正しいと思っている。」、「今からでも戦いに行く。」という答えを求めていたのでしょうか?これまで正しいと教えられてきたものを、「今回の戦争は間違っていた。」ときっぱりと答えることはできないはずだと思います。しかも17歳です。父の出した答えは、「貴方達教育者から正しいと教えられ、それを信じて今まで生きてきました。」です。この質問の答えを探すことがその時の父の生きるテーマでした。
平和はあって当然の物。空気のようなもの。そのことを深く考えることはあまり日常の生活ではありません。安全保障関連法が成立しても、私達の日常の生活が大きく変わったという実感はもてません。でも、戦争への道は、私たちの心の隙間から、その姿を隠して、全く関係のない事のようにいつの間にか入り込み、戦争へと私達を巻き込んでいきます。その変化に気づかず日常を過ごしてしまいます。
戦争は、いつの間にか、その実態を隠しながら私達に迫ってきます。そして教育という名の下、戦争を正しいものへと変え、私達もそのことを疑うことなく進んでいってしまいます。私たちはなぜこのような戦争が起きてしまったのか。なぜ防ぐことができなかったのかということをしっかり検証し、反省しなければなりません。このことがなければ、必ずまた同じことを繰り返していきます。
さて、私たち医療に係るものの責務として、憲法第25条を実現させることにあります。でも、憲法第25条単独では成立しないものだと思います。
だれもが健康で文化的な最低限の生活を営む権利、憲法25条実現させるのは、国そのものが戦争をしない国であり、平和でなければなりません。そして、個人として尊重され、幸福を求める権利が保障され守られていなければなりません。9+13=25
9は憲法9条、13は憲法13条、25は憲法25条です。この9+13=25という数式は、私達医療に係るものにてって、欠かすことのできない数式だと思います。
私たちは戦争がなぜ起きたのかをしっかり検証し、反省し、二度と戦争をおこさないことを、今日の終戦72年を迎えて誓う必要があります。そして、憲法を暮らしの中に生かし、平和な国造りをしなければならないと思います。